第40回 私の言葉で伝える

広島、長崎への原爆投下の日や終戦の日を迎えるこの時期は、テレビなどで大東亜戦争の特集番組も多く、自然、国家や戦争そして平和について考えさせられます。

テレビを見るに、当時を語る証言者が相当な高齢に達しており、いつまでも健在で頂きたいと願う反面、そう遠くない未来に戦争経験者が居なくなるのだなと言う事実を実感し、焦燥感に駆られます。
私が子供の頃は、生まれ故郷の古い建造物には機銃掃射の弾痕が残っていたり、山中で不発弾が見つかったりと、少なくとも戦争の残り香が今よりずっと身近にありました。また、祖父母や近所の方々からも戦中の話を教えてもらい、幼いながらにその悲惨さに恐怖したり、見たことのない血縁者の壮烈な戦死話に身震いした記憶が残っています。少なくとも、私が感じた戦争は善・悪の二元論で片付けられる類のものではありませんでした。

戦争へのリアリティが無くなっていくことは、平和な時代が続いている事の証左とは言え、次の戦争に向けた準備期間の様でもあり、漠然とした不安を感じずには居られません。私は戦争の実体験を語ることは出来ませんが、伝え聞いた中で私が感じた戦争というものを私の言葉で次の世代に伝えていかねばならないと、それなりに多忙な日々を送る中でつい忘れがちになってしまうこの思いを、少なくともこの時期だけでも深く心に刻みたいと思います。