第81回 求めるから提供するのか、あるから使うのか

ここ東京では、良くも悪くも大震災の影響が少なくとも日常生活上は薄れてきたように思います。
例えば震災後しばらくは節電対策で止まっていた駅のエスカレータも稼働していることが多くなってきました。
そんななか、先日とある駅で見かけた光景です。
改札フロアから階上のホームに上がるには、階段とエスカレータが設置されています。
私の前を歩いていた20名近く全てがエスカレータを選びました。階段を選ぶ人は誰ひとり居ませんでした。その事実に愕然として私は階段を選びましたが、無意識であればきっとエスカレータを選んでいたことでしょう。

駅のエレベータ。
混雑解消や高齢者の方へのサポートというような側面もあるでしょうから、提供側に簡単に是非を問うてはならないと思いますが、通常の利用者にはそれとは違う観点で是非が問われていると思っています。
「動いているのだから自分が乗ろうが乗るまいが結果は同じ」
と考えるのか
「少しでも利用を減らしていけば、いつかは不要になる」
と考えるのか…。

暗いより明るい方が良い。汗をかくよりかかないほうがよい。小骨を外すより最初から小骨の無い魚が便利。等々。
長らく私たちは深く考えずに安易にモノやサービスを消費する時代を歩んできたように思います。
今、原子力発電の存続是非が問われていますが、仮に廃止する方向で進めるならば、原子力発電に依存しなくとも成り立つ社会にならねばなりません。代替エネルギーの開発や普及だけでなく、低エネルギーでも成り立つという社会の実現が重要に思います。
それは政治家の先生に求めるだけのものではなく、私たちひとりひとりが変わっていかねばならないことだと思っています。