第112回 お盆に考える

お盆で帰省しています。
この時期、両親の営む小売店はお墓に供える仏花”シキミ”の販売で忙しく、私もたまの手伝いにと山でのシキミ採取に同行しました。

読者の多くはご存じの通りのこの体躯。高温多湿の山林で急勾配を登るだけでもきついのに、草木の雨露が身体を濡らし、蜘蛛の巣が顔にまとわりつき、蚊や虻に追い回され、と、不快なること山のごとしでした。
しかしそれよりも私を不快にしたのは、遠目には以前と変わらず見える緑深い山並みが、実際にこうして野山に入ると実に荒れているという事実、また、山と町の接点である山里の田畑の放棄地がより一層増えている事実でした。
下草刈り、間伐、山道の補修など、手間のかかる日常仕事をする人が減った結果なのでしょう。どうしても効率が上げづらい山里の小規模農業の経済性の結果なのでしょう。
山林や山里の荒廃は鳥獣による農作物への被害に繋がり、川の氾濫に繋がり、海の生態系の乱れにも繋がると聞きます。
人口が僅か数十年で半減したこの町で、これらを昔の状態に戻すことは現実的にはもう不可能なのだろう思うと、私も含め、効率的に現金を稼げる都会仕事を目指したこの数十年は一体何だったのだろうと考えさせられます。

家族や仲間と、安全で美味しい日々の糧を得るための経済活動が、安全で美味しい日々の糧を産み出す場を蝕んだという事実。
オリンピックの熱狂も終わった今年のお盆は、この事実にしっかりと向き合うことにいたします。