第116回 本当の平等

「政党党首が食べたカツカレーが豪勢過ぎる」と批判するニュースを聞きました。
「ホテルのバーで飲むのは庶民感覚から乖離している」と、時の首相が散々叩かれた記憶も蘇ります。
国のトップに立つような人たちと私などがカレーや酒レベルで平等である必要などありゃしない。
こんな下らないことを紙面にするなんて、比較された庶民を馬鹿にしていると庶民の私は思うのであります。
むしろ私などは「金を使わない金持ちなんて価値が無い」「なじみの安居酒屋に首相に来られたら面倒でかなわん」と思うのであります。

いつからこんないびつな平等を求める社会になったのでしょうか?
子育てだってそう。
なんでもかんでも「子供優先」なんて言って甘やかしていたら、長い人生で子供の頃が一番幸せになってしまい、子供がいつまでも大人になろうとしなくなってしまいます。
幼い頃の記憶を辿ると食事のときもテレビを観るときだって、主導権はいつもじいちゃんや父親でした。
子供の私には「あの人は勝手気ままに生きている」と軽口を叩かれるような、好き勝手やっている(ように見える)大人ほど魅力的に見えました。
だから僕たちは「大人になれば俺だって・・・。」と、はやく大人になることを願ったのです。

“大人になれば責任とともに自由を得る”
“頑張って世の役に立てば良い暮らしができる”
この”当たり前”に対して平等な社会にしていきたいものです。