第286回 おこぼれ

私と息子、吉田家男子の秋冬の週末は薪仕事に精を出すのがここ数年の恒例。

気温も野良仕事向きで、何より木の含水率の下がるこの季節は、木を切り出すにも割って乾かすにも好都合なのであります。

先日も切り出した巨木をいただける事になり、せっせと働いてまいりました。

巨木を切って、積み込んで、降ろしての繰り返し。

 

肉体単純作業の先で訪れる忘我の時に想うのは、私の年齢など遙かに超えたこの巨木のこと。

小さなどんぐりから芽を出し、林を成して、森になり、大気のCO2を自らの身体に変え、そのほんの一部が我が家の暖となり、灰となり、やがて自然に還る大いなる循環。

吉田家などはこの自然の大きな循環の僅かな僅かなおこぼれをもらって生きているに過ぎず、それはどんなお金持ちだって都会人だって同じ。

自然のおこぼれをもらいながら、大きな循環の中で生き、そして死んでいくだけの存在。

だから決しておごらず、過大評価せず、けれど卑下せず、感謝を忘れず。

やれることやって粛々と生きていきたいものだと思うのです。